海底を彷徨う

キラキラした君たちについて語るただのわたし

髙橋海人くんはなぜこんなにもわたしの心を動かすのか、ふと考える


ジャニオタであるわたしは、ジャニオタらしからんことに、顔で担当を決めたことがないジャニオタである。
むしろ興味を持つアイドルの顔は、ストライクではないことばかりだ。

 

多くの場合は、そのキャラクター性やアイドルとしての物語、パフォーマンスに興味を持ったことが入口となる。(そして見聞きし知っていくうちに「あ、顔もいい」となるパターンである。)

 

 

さて。髙橋海人くんはなぜ、こんなにもわたしの心を動かすのか。
それは、"アイドルとしてのプロ意識"の高さが魅力的だからである。

(わたしはまだ髙橋海人くんのファンになって日は浅いが、これまでを遡り友人から得たエピソード等で知り得たことを前提に考えております。)

 

たった13歳でジャニーズの世界に足を踏み入れ、おそらく本人もよく分からないまま活動を始めたかいちゃん。総指揮であるジャニ―さんに言われるがままステージの前方に立ったことで、多くの心無い言葉を浴びた幼き日々。

 

16歳の頃の雑誌のインタビューで、
『「恵まれてる」と周りから言われることばかりだった。』
という言葉を残している。

 

事務所に入った直後から目立つ位置に立たされ、周囲やファンから妬まれたり、煙たがられたり、心が痛むようなことを沢山言われた。
また、トップJr.であった平野くんと永瀬くんと活動を共にすることでその批判は更に増したことだろう。

 

「正直に言って二人と活動すること、一緒にいるのが怖すぎた時期もあった。」
と最近の雑誌記事でかいちゃんは当時のことを振り返っている。

 

「なんで俺こんなに最前線に立たせてもらえているのか?みんなを引っ張っていくグループのメンバーに入っているのか?」
と当時思い悩んだこと、

 

(ジャニーさんから、前に立たせてもらっている)理由を言われたことがなくて、『キミはキミらしくいればいいよ』って言われ続けてた。それでも『なんで俺が?』って気持ちが消えなくて。ぶっちゃけて言うと、この立ち位置で辛い思いもしてきた。」

とまで、当時を振り返り赤裸々に語っているデビュー直近の19歳のかいちゃん。

 

本人が本来持っている高いダンススキルや舞台人としての素質が周りから認められる前に「最前に立たされた子」というレッテルだけ先走りしてしまった幼き日のかいちゃん。

 

現在に至るまでに彼がどれだけもがき苦しみ、辛さを乗り越え成長してきたのかは想像だに出来ない。

 

当時たった16歳の少年が経験を積み、仲間と共にひとつの作品を乗り越えたことで自信をつけ、
「今はファンを信じ、人一倍努力するだけと覚悟を決めています。」
と成長し生まれ変わるまでに、どれほどの意識改革と精神力の強化があったかは計り知れない。

 

尊敬する平野くんと永瀬くんについて、
「(平野)紫耀と(永瀬)廉がずっとマイナス思考だった俺を支えてくれてたの、特に廉が。(中略)はたから見たら紫耀と廉がシンメで俺だけひとりぼっちに見えていたかもしれないけど、二人はそう思ってなかったから。それに俺は二人のシンメが大好きなんだ。」
と語っている。

 

かいちゃんの強いアイドルマインドを育てたのは、本人の力強さに加え、平野くんと永瀬くんによるサポートと、かいちゃんの実力を認めてくれた信頼、さらには二人と居ることで芽生えた向上心があったからだと思うと、この三人が離れずにデビューできたことには、大きな意味があると感じる。

 

涙を拭い、辞めずに食らいつき、辛い時代を乗り越えたかいちゃんのパフォーマンスは圧倒的に美しい。その笑顔は何よりも輝かしい。

誰よりも楽しそうに踊り、誰よりも嬉しそうに歌い、今では「アイドルは天職」とまで言い切れるアイドル髙橋海人がデビューをした。

 

その笑顔は過去の苦悩を感じさせない。
かいちゃんのプロアイドルマインドには脱帽しかない。

 

本来持っているダンスの経験値、パフォーマンス力の高さ、舞台映えする立ち姿、天性の舞台人としての才能、安定した歌唱力…そしてそれらを作り上げてきた惜しみない努力と精神力により、前線に立つべき逸材であることを自ら証明したかいちゃん。
ひまわりイエローのアイドルとしての素質が満開に咲き誇る。

 

「ジャニーさんには本当に感謝しかない」と本人も記事で述べているが、ジャニ―さんの先見の目は本当にいつの時代も想像のはるか上をいく。
ジャニーさんの目はいつだって確かである。

 


デビューまでの道のりを振り返り「一番頑張ってきたこと」を雑誌のインタビューで聞かれたかいちゃんは、こう答えている。

 

「"自分"を見つけるのが一番難しかったな。ダンスと歌、演技ってステージに立てば立つほどできるようになるのは当たり前。アイドルにとって努力するのは当たり前のことだから、それは普通にできなきゃいけない。その中で"自分"を見つけるのはアイドルにとって難しいことなんじゃないかなって思う。」

 

自分探しに邁進する進化系アイドル。あまりの意識の高さに泣ける。

 

かいちゃんは続ける。

「しかもその自分の持ってるキャラが、ファンの人からどれだけ支持されるのかも重要で、俺はどんなことをすればファンの人が喜ぶのかをずっとずっと考えてた。スキルは高くなるのは当たり前だけど、人気はそれに比例しないもん。俺はいまだに人気があるほうじゃないから。」

と。

自分に何が求められているのかをとても冷静かつ残酷に自己分析していて非常に驚く。

 

本当はかっこよく決めたいのに、お兄ちゃん達は皆かっこいいし、自分はかわいい弟キャラでいることが支持されていることを分かっているのか、と勝手に推測してはなんとも言えない気持ちになる。

 

別の記事でもかいちゃんは、

「アイドルって印象社会だと思う。」

 

「アイドルっていうのは、ファンと一緒に成長して高め合うものだと思います。そしてアイドルはファンがいてこそ存在できるものだから、ファンに求められるようにやっていかなきゃいけないんだと思う。」

と語っている。

今一度言うが、彼は19歳、未成年である。

 

2時間の通学時間を経て高校へ辿り着き、授業を受け、好成績をキープし、放課後はレッスンに通い、舞台をこなし、雑誌の仕事をし、先輩のバックにつき…

思い悩みながらもこれらをすべてこなした彼の今がある。

 

わたしはかいちゃんの生き様およびスキル(主にパフォーマンス力の高さ)に一目惚れした人間なので「人気がそれに比例しない」という現実をアイドル本人が語っていることに切なさを感じ、大きな衝撃を受けた。

 


コンサートには、担当の名前の入ったうちわを必ず持って行くことがマイルールである。
ファンサービスが欲しいことももちろんあるが、一番の理由は
「あなたのファンがここにいます。応援しています。」
と本人に認識してほしいからである。

 

わたしが一番だと思う彼本人に、自信を持ってもらいたい。
会場を見渡して自分のファンがいなかったら怖い…なんて思いはさせたくはない。(そんなことは心配しなくとも絶対にないのだが、わたしはセンターではなくて端っこにいるアイドルを応援しがちなジャニオタなのでそう感じる節がある。)

ただただ「ここにいるよ!君のファンだよ!好きだよ!」となんらかの形で、一瞬でも見てくれたらいいなという想いでうちわを胸元に掲げている。

 


前述の16歳当時の苦悩を綴った雑誌の記事の冒頭タイトルには
「爆推しをねじ伏せる努力という才能が開花中」
と黒い太字で書かれ、葛藤していた16歳のかいちゃんが紹介されている。

 

わたしは今まで読んだかいちゃんに関するテキストで、この表現が一番好きだ。

 

 

ブラックコーヒーが飲めることと焼きそら豆と厚揚げが食べられることを大人の証だと信じているまだまだ少年ぽさの残るかいちゃんの高いプロ意識、アイドルマインドは、誰よりも大人だ。

 


お読みくださりありがとうございました。

King & Princeのハイタッチ会について、ふと考える

King & Princeのハイタッチ会に参加してきた。

今年に入ってからの現場は、1月初旬のHSJコン、中旬の嵐コン、5月のセクゾコン。
それ以来の現場だった。

 

岸くんのおかげで見事な雨模様。
降ったり止んだりを繰り返していた21日の東京1部に参加させていただいた。
ネタバレは一切なし。ワクワクしながら会場入りした。(入場は混雑混乱が甚だしかったがその模様は割愛。)

 

会場に入ると最前にステージ、それを眺めるように前方、中央、後方と3つのブロックに分かれていた。観覧の場所は指定されておらず、好きな立ち位置を自ら決め陣取る、いわゆるEX方式である。


前方ブロックがほぼ埋まりかけていたので中央ブロックのど真ん中、前から2-3列目あたりを陣取った。

※この位置取りが我ながらとても幸運で、後ほど悶絶する要因となる。


ステージ上には、台があり高々とガラスの靴が1足飾られ、スクリーンにはMVが流れている。

そこに集いし者一人残らず今か今かと高揚した気持ちで立っていた。時が近づくにつれ、会場の熱気とボルテージは上昇を見せた。

 

開演時間を少し過ぎるとステージに白い幕が降り、映し出される6名のシルエット。
黄色い歓声が鳴り響く中、幕が開け6人の国王達が登場する。

 

この日のために用意された新しい衣装と思われる白いスーツに身を包み、黒いベストやお花のコサージュなど一人一人少しずつ異なる仕様である。

 

神・岩・岸・平・海・廉 の順でステージに立つその姿はまさに高貴。

 

順に一人ずつ挨拶が始まる。
(ここからはわたしのご贔屓である髙橋海人くん中心のレポとなる点をご了承ください。)

 

海「(楽しみで)寝れなかった人ー?!」
客「はーーーーーーーーーーーい!!!」
海「僕は寝れましたー!(満開のひまわりスマイル)」
客「爆笑」


開始秒でかわいい。
かいちゃんは一気に会場を取り込んで温かい雰囲気を作り上げるのがとても上手。
いつしかキリキリドキドキと緊張していたわたしの心も、ホッコリフワフワへと変貌を遂げていた。

 

出番が少なかった印象だが、会場には「影の声」(いわゆる「天の声」)が在中し進行を手助けしていたのだが「影の声」をどなたか(平野くんか岸くん?)が「ハゲの声?」と間違えた際、

 

海「きゃっはーーーーー!!」

と謎の効果音反応を示していたことは、ここに明確に記しておきたい。
テンション高いかいちゃんは、目にも耳にも非常に楽しい

 


イベントでは企画が2つ披露された。

 

①胸キュン台詞バトル

決められたお題に対する胸キュン台詞を、箱からランダムに選んだクジに書かれた(番号に該当する)観客に向けて投げかけるというものだ。


廉⇒ 部活の試合に負けた子に一言
海⇒ 待ち合わせに遅れて一言
平⇒ 初めて作ってくれたお弁当を食べて一言
岸⇒ 初デートの11PM間近の別れ際に一言
岩⇒ おやすみの一言
神⇒ 前日喧嘩した彼女に翌日の仲直りのおはよう


海「おれ、胸キュンじゃなくね?」

…たしかに。でもかわいいからなんでもいい。

 

?「ポエマーの出番!」
海「その肩書き、もう捨てたから…」

 

と突然のカミングアウトをするかいちゃんに少し淋しさを覚える間もなくクジが引かれていく。

かいちゃんが引いたクジに該当者が2名現われ、どちらも自分だと主張。(おそらく一方の方が番号を誤認識していたのだろうけど、スタッフが確認にくるという厳密さはなし)少々困り混乱するメンバーたち。

 

岸「命かけてわたしだ!って言える人!」
と命を軽々とかけてくる岸くんが笑いを取り雰囲気を回復してくれたところで、

海「分かった。俺、ここで言う!」

と2名の中間位置であるステージ中央に立ち、2名に対し平等にセリフを放つことを決意。
かいちゃんのそういうところ、本当に素敵だと再認識した。
またわたしの永久不滅大好きポイントを稼いでいく髙橋海人さん。


海「すまん!すまん!すまん!遅れちゃって。デート楽しみで寝れなかったからさ。だから…夜まで一緒にいてやるよ(ドヤッ)」

 

かわいいんだかかっこいいんだ面白いんだかもはやよく分からないけど、とにかく愛おしい。
夜まで一緒にいてくれる未成年が愛おしい。
愛おしさが溢れ、わたしの顔面が崩壊する音が聞こえた。


神「すまんすまんって…電車に乗り込んでくるサラリーマンじゃねーかよ!」
(片手でおじさんがやる「すまんすまん」の身振り手振り付き)

と、ツッコミまで入れてくれてありがたい。国民の彼氏の合いの手、至極最高。

 


②箱の中身は何でしょうゲーム


神平海チーム vs 岸岩廉チーム

 

一回戦: 平vs岸 (お題:キウイ)
二回戦: 海vs廉 (お題:ゴム製のヘビのおもちゃ)
三回戦: 神vs岩 (お題:カレー皿 ※アラジンのランプみたいな形のアレ)


れんかい対決の二回戦。

ゴム製のヘビを見たメンバーと会場から悲鳴が起きる。

廉「俺触覚、人の5倍やからな」
…な双子の兄・廉くんに対して

海「やだやだやだやだやだやだー」

…と逃げ回る双子の弟・かいちゃん(推定5歳)
(ここで会場中の母性が溢れる)

 

海「まじふざけんなよ!」
?「心の準備はいい?」
海「心の準備よくなくね??」
(早急に保護したい)


箱の中身をほとんど触れられないままタイムアップし、かいちゃんの回答
海「かめ」
(えっなにそれかわいい…)


他メンが正解のゴムヘビを箱から取り出して見せると、いちいちビビるかいちゃん。
そして、恐る恐る手に取ってみて一言

海「納豆のにおいがするー」
ゴムヘビを触った指を平野くんに嗅がせて(言われるがまま嗅ぐ平野くんも恐ろしくかわいい)
ふたりして「ほんとだ~」みたいに顔を見合わせているではないか。

 

ここは天界か。天使の戯れか。綿あめの雲の上に乗せてあげたい。


三戦後、優勝チーム(岸岩廉)は「還元パレード」と称して客席を一周する。
わたしが陣取った場所の、目の前の通路を3人が通って行く。
岸くんと岩橋くんは可愛すぎるし廉くんはただの二次元だった。(最大賛辞)

  

 

再度ステージに6人の国王達が勢ぞろいし、曲紹介。
シンデレラガールを振り付けなしで披露。
曲途中では客席に降り、再度「還元パレード」が行われたのである。

 

わたしが立つ場所の目の前の通路(前ブロと中央ブロの間の通路)に、突如簡易小島が設置される。間隔をあけてその左右にも、一人用小島が1つずつ設置される。

 

目の前に特設ステージが設けられ、この時死を覚悟した。

 

入れ替わり立ち替わり、目の前の小島に国王達が訪れ、中央ブロの国民に向けて歌い笑顔を振りまく。
距離にして100cmない。手を伸ばせば触れられる距離。

しかし手を伸ばすことなど恐れ多く、ただただその眩しい笑顔を拝むことしかできない平民であった。

 

平野くんのお顔は、控えめに言ってちょっと大きな肉まん程度で、廉くんは顔面も骨格もすべて二次元すぎて早く漫画の中へ帰してあげたくなった。

 

かいちゃんはこぼれ落ちそうな瞳で、黄色のペンラや小物を見つけては丁寧に目を合わせファンサをし、満開の笑顔を振りまいていた。
小島から去りゆくかいちゃんの後姿、もっというと後頭部、襟足が抜群にかわいくて愛おしさがだだ漏れた。

 

国王達がわたしの目の前の特設ステージで歌って笑顔を魅せていった。
こんなに濃厚なシンデレラガールがあっただろうか。
1曲のみの披露だったのに、眼福・耳福であった。

 

曲披露が終わると「これだけじゃない。重大発表が。」と匂わせてくる国王達。
前方スクリーンに映し出される「ファーストコンサートツアー決定」の文字。
この日最大に沸く我々国民。
間違いなく埋め立て地豊洲の地盤が少し歪んだであろう。

 

 

我々の興奮を横目にイベントが終了し、国王達はハイタッチの準備へといったん退場する。

 ここでしばらくの間、正気に戻る時間がオタクたちに与えられた。
(わたしの場合イベント終了からハイタッチエリアに辿り着くまでに30分ほど時間が空いた)

 

しかし正気になど戻れるはずもなく、興奮した状態のままハイタッチの準備に取り掛かった。
腕に黄色のシュシュを装着し、胸元にかいちゃんのPVCキーホルダーを付けた。

 

毎日毎日考えたにも関わらず結局決めきれなかった、かいちゃんへかける言葉を再度熟考し始めた。

だが、連日考えても結論に辿り着けなかった答えが30分で導き出せるはずもなく、考えても考えても「好き」以外の言葉が見つからず、もうそこまで順番が回ってきていた。

 

ハイタッチ場所で最初に待っていたのは岸くんだった。一番手ということもあって、こちらから行かなくとも前のめりでハイタッチを迎えに来てくれた。「ありがとう」と伝えたら笑顔を返してくれた。

 

2番目の神宮寺くんに「ありがとう」と伝えるとまっすぐ目を見て「ありがと」と力強く返してくれた。
(その目力の強さに実は、今回のハイタッチ会で神宮寺くんが一番印象に残る形となった。)

 

2番目の神宮寺くんの元を去る頃には、5番目に控えるかいちゃんのことで頭がいっぱいになり、正直3番目の平野くんと4番目の廉くんの記憶が(本当に申し訳ないし勿体無いのだが)まったくと言っていいほどないのである。

 

平野くんと廉くんと笑顔で無言のハイタッチを終えて、かいちゃんの前に辿り着く。

 

右手をかいちゃんの手に合わせて咄嗟に出た言葉は
「かいちゃんが一番」であった。
わたしにとってかいちゃんが今一番輝いているアイドルだよ、という本心がそのまま出た形となった。

 

海「ありがと、えへへ」

と返してくれた。「かいちゃん少しだけお疲れの様子だな~」と思いながら"かいちゃん前"の制限時間ギリギリまで彼を凝視したわたしの去り際。


胸元の黄色いキーホルダーを見つけ「あっ」と言って目線をやり「そんなところに俺のキーホルダー!」みたいな表情を浮かべてくれたかいちゃん。

 

その表情がありえないくらい、ぶっ倒れるほどにかわいかった。
ハイタッチの時の面と向かったお顔より、その表情と一瞬の気付きにわたしはまた射抜かれた。


そのまま右手をかいちゃんから離し、気持ちの高揚を押さえられないまま岩橋くんと最後にハイタッチ。
正直最後のハイタッチの記憶はまったく漏れているのだが、岩橋くんが会場にいたどの女子よりも可愛く麗しかったのは確かである。

 


6人との正味10秒ほどのハイタッチを終えて出口を出たわたしを胃痛が襲った。
これまでの緊張を解き放つかのように、キリキリと攻めてきた。
しかしわたしは幸せであった。その痛みさえも噛みしめた。

 

胃が痛むにも関わらず、まっすぐ帰宅することが出来ず、一人寄り道をし、かいちゃんの好物であるカリカリのベーコンがのったサラダをつまみに、ビールを一気飲みし、幸せの瞬間を無限ループで咀嚼した。


帰宅後はしばらく右手が洗えなかった。


あの一瞬でこんなにも幸せにしてくれ、以後の毎日にやる気を起こしてくれる存在であるアイドルの凄味を改めて痛感した。
きっと彼らがアイドルでいてくれることが、毎日どこかで誰かの励みになっている。


かいちゃんのアフターケアにもまた悶絶した。
彼のブログのターンがちょうど回ってきて、ハイタッチの様子がこのように記されていた。


「僕のファンの人の多くは、黄色の服やアクセサリーをつけてきてくれて、めちゃんこ分かりやすかったよ!ありがとう。」

 

たかがアイドルとファンだが、ここまでしっかり見て述べてくれると黄色を身に付けていって良かった、かいちゃんを応援して良かった、と改めて心から思える。

かいちゃんは我々に寄り添ってアイドル髙橋海人を叶えてくれる天才
天性のアイドルだとこの度再確信した次第である。


以上が豊洲に舞い降りた天使ことKing & Princeのハイタッチ会のわたし的備忘録のすべてである。
残りの大阪のハイタッチ会に参加される方、存分に楽しんできて欲しいと願う。

 


お読みくださりありがとうございました。

髙橋海人くんについて、ふと考える

8か月ぶりの更新である。

 

書きたい熱を帯びながらもなかなか着手することができなかったわたしだが、ブログ更新が滞っていた2017年秋から2018年春までに、15近くの現場に足を運び、オタクとしてのびのびと活動していた。

 

フットワークの軽さだけが取り柄のわたしが休息…と腰を下ろそうとしたその時。
突然その時はやってきた。

 

それは青天霹靂。隕石落下。火山噴火。

あまりに突然のことだった。

 

 

わたしには長年贔屓にしているグループ・担当がおり、それは今もこれからの未来もずっと継続していく。(確固たる確信)

 

その傍らでゆるゆると応援しているグループや、友人の付き添いでお邪魔させていただくグループなどがあり、長年の贔屓を軸にゆるく掛け持ちをしている適当なジャニオタである。

 

しかし。この度。ここにきて。
久しぶりに沸点を超える情熱をもって応援したいとわたしの心を揺さぶってきた逸材を見つけてしまったのである。

 

先月King & Princeとしてデビューしたばかりのひまわりイエローこと、髙橋海人くんである。

 

わたしは嵐・関ジャニ・V6辺りと同世代であるため、海人くんを発見しドキドキワクワクしている自分に驚き、戸惑い、さらには気恥ずかしさすら覚えた。
これまで応援してきたジャニーズもほとんどと言っていいほど同年代ばかりで、今までこれだけジャニーズ好きを公言してきたのに、10代やJr.というエリアは一切通過してこなかった。(長年贔屓にしているグループ・担当のデビュー前を少しかじっていたのが最後だ。)

 


2017年から2018年へと年が変わろうとしていた頃、わたしは割と手持無沙汰だった。
15近くの現場には足を運びながらも、どこかわたしの体温はぬるかった。

 

まさにその頃、些細なことがきっかけでJr.が出演してる番組を見ることとなった。
海人くん含むジャニーズJr.のことは、名前と顔くらいしか存じ上げなかったが、「若者が気になる」と発すれば、ジャニオタの友人達から番組が焼かれたブルーレイや雑誌の切り抜き、ステマのメール等が送られてくる。

 

ジャニオタとは、非常に仕事が早く怖い生き物である。

 

そんな中、King & Princeのデビューが突如発表された。
自分には関係ないことと思い、友人からもらった過去番組を少しずつ暇つぶしにのほほんと見ていた。

 

番組を見進める中でいつしか目で追っていたのが、かいちゃんこと髙橋海人くんである。 

 

かいちゃんの口調は独特の雰囲気を持ち、ほわほわふわふわと話すその不思議な存在に(正直に申し上げると)目が点になった。
とても独特な雰囲気を持つ彼に強い興味を抱いた。
「わぁ(語尾にハートマーク付き)」と効果音のような感情を露わにしてみたり、大きな口を開けてクシャクシャに赤子のように笑ったり、他のJr.たちに思いきり甘えたり。

 

一方でパフォーマンスがとてつもなく目を引く。舞台人だ。そう思った。

妖艶な表情を振りまいたり、挑発的なダンスを見せつけてきたり。

 

まるで万華鏡のようだ、と一瞬にして釘付けになった。

 

 

度肝を抜かれたのは彼の圧倒的パフォーマンス力自己表現力

 


わたしはその日、

ジャニーズを超えたパフォーマーを見たのである。

 

認めたくなかったが、彼はわたしを一瞬で虜にしたのだった。

それでもわたしは何かの間違いだと、半信半疑だった。わたしがJr.を?

半信半疑のまま、冬と春を過ごした。

 

しかし、その瞬間はあっけなく訪れた。
デビュー日へのカウントダウンでメディアへの露出が激しくなり、ジャニーズ好きなわたしがTVをつければKing & Princeを見ない日はなかった。

 

眠れぬ夜、わたしは友人に焼いてもらったブルーレイの、少クラでかいちゃんが披露したMr. Jealousyに辿り着いていた。開いた口が塞がらなかった。

 

そのまま夜が更け、テレビ画面にはCDTVが流れていた。デビューに関するインタビューを受けている6人がそこに映っていた。それぞれの特徴を生かした自己紹介が進んでいく。


「二十歳独身です、イエイ。」と自らを名乗る神宮寺くんにとても好感を抱いたことと、見た瞬間に「顔面…」と声が漏れてしまうくらい圧倒的顔面の持ち主の永瀬くんの威力を記憶しているが、その記憶がすぐに塗り替えられることとなる。

 

海「髙橋海人19歳。特技は絵とダンスを描くことです。」
神「ダンス描けるの?」
海「おれなんて言ってた?」
廉「ダンス描けるって」
海「…基本的に自分何言ってるかわかんないです

(ぽわぽわぽわぽわぽわ)

 

決定打だった。
わたしはその足(足なのか目なのか)で、再度ブルーレイに収められた少クラのMr.Jealousyを見た。RemedyやBTN等も再生した。


自分でも不思議だったが、自然と涙が溢れた

 

お願いだから目の錯覚であってほしいと願った。

これが同一人物だとしたら、しんどい

このようなアイドルが実在すること自体、胸が苦しい。

 

しかし願った時点でわたしはもう落ちていたのである。
高橋海人という恐ろしい沼に。

 

意識朦朧とする中、ふと思い出した。
(ジャニオタとしてなんとなく毎日見ていた)ZIP!のGINZA DEBUT企画で
「好きになってくれた人全員僕の沼に落としたい」というオタクな言い回しをしていた彼こそが、かいちゃんこと髙橋海人くんであったということを。

 

ここからの1か月、わたしは時間場所を問わず、かいちゃんについて学んだ。

バラエティーのとびきり愛らしい姿と、パフォーマンスする超越したカッコよさ、ダンスの秀逸さに毎度毎度、度肝を抜かれ骨抜きにされた。

 

何度見ても見足りないし、見るたび新鮮に心臓がバクバク鳴った

こんな気持ちは十数年ぶりであった。

心からこの人の今後を見守っていきたい、応援していきたいと思った。

 

買えるものは買い集め、友人からいただける番組はすべて焼いて頂き、過去のWSや雑誌、写真集も手元に迎えた。

彼の歩みを一つでも多く知りたいと思った。

 

何かを吸収したい時のジャニオタのエネルギーは凄まじいものだと、自分の身を持って体感した。

 

こんなに素敵な人を応援していいのだろうか、という謎の感情まで生まれた

 

 

そんな彼がKing & Princeとしてデビューを果たした。
なんというタイミングで好きになってしまったんだろうと思ったが、 わたしはこのタイミングにとても感謝した。

 

また、これまで応援されてきた古参のみなさんにも感謝した。

デビューに向けたMr.KING担の方々のブログやSNSを隅から隅まで読ませていただき、その想いにも沢山触れさせていただいた。

彼らのデビューをどのような気持ちで迎えたことだろう…と寄り添わせていただいて想像しただけで涙がポロポロと溢れた。

 

わたしは、過去当時のかいちゃんをオンタイムで知らないし、もう知ることは出来ない。

彼が辛く苦しく不安な思いで過ごした期間を、直に感じることは出来ない。

それでもアイドルスマイルを絶やさず、努力を続けてくれたことで、今こうしてアイドル髙橋海人くんの応援者のひとりになれたのだ。

 

そんなかいちゃんと海人担のみなさんのこれまでの軌跡に感謝して、
わたしは二足のわらじでジャニオタすることに決めた。

 

まだまだかいちゃんのことは全然知らない。これから知っていく楽しみがたくさん詰まっている。

昨日読んだ過去の雑誌で、かいちゃんがきのこと茄子が食べられないこと、カリカリのベーコンが好きだということを知った。

 

わたしは今夜、特盛のカリカリベーコンサラダを作ろうと心に決めた。

 


お読みくださいましてありがとうございました。

売れるということについて、ふと考える

気付いたら9月は一度もブログを書けていなかった。

さすが長続きしないで有名なわたしである。

 

そんな飽き性のわたしでも、まぁまぁ長く続いている趣味がある。
そう、ジャニーズを応援することだ。


わたしには長く応援しているグループ、最近気になって追い始めたグループと、応援対象は様々だ。

 

彼らを長年拝見していると必ずどこかの時点で思うことがある。ぶち当たる壁がある。
そう。「売れるということ」問題だ。

 

世間での認知度が高まり露出が増え戦略が功を奏せえば、好感度さえ上がる。

それがある種「売れた」証だとも言えよう。

 

しかし、

世間や茶の間に認識され「売れる」ことに伴って「ジャニオタの満足度が下がる」というのも良く見る現象だと感じる。

 

分かり易いところだと、今や国民的アイドルにまで伸し上がった嵐さん。


個人的な見解ではあるが、

わたしが思う嵐さんのいいところは5人が一丸となって馬鹿げているところ(褒めている)、5人が内弁慶なところ、5人で結束して現場に足を運んだファンやTVの前のファンを楽しませてくれるところ、だ。

 

この「楽しませるスタンス」は今も健在で、さらに加速さえしていると感じるが、その持ち味が感じにくくなってきた、という変化を感じる。万人向けになっていると思わざるを得ないのだ。

 

何をするにも「優等生」としての言動が求められているようになった。

「国民的」と呼ばれるより以前の、アホらしい彼ら(褒めている)にはたまにしか出会えなくなった。「世間」向けの顔が増えたのだ。
(もちろん歳を取って落ち着いたという点は大いにあるが。)

 

この現象を、Hey!Say!JUMPの伊野尾くんにも少し感じることがある。


彼のことを詳しくは存じ上げないが、個人的見解で申し上げると、

彼はふわふわしたどこか適当とも言える(しかし計算された)テキトー発言とその不思議具合が売りのひとつだと認識している。
先輩に臆することのない発言や、人とは違った発想、面白さを狙ったのか狙っていないのかすら読み取れないテキトー発言。これらの言動と彼の可愛らしいキュートなお顔が彼の武器だとわたしは思っていた。

 

しかしいわゆる伊野尾革命が起き、世間に「見つかった」伊野尾くんは、今や人気の情報番組やバラエティー番組に引っ張りだこだ。
「世間」に対して顔を見せることが増えた。それに伴って「世間」向けの顔も増えた


今も十分面白く才能に溢れた人だとは思うが、革命前のあのテキトーさでファンの心をつかんでいた彼は、最近あまり見られない。

発言も多少なり「世間」向けとなり、あのキュートなお顔も少し強張って見える時がある。

 

仕事や状況によって発言や表情を変えなくてはいけないことは理解できる。

それはどんな仕事をしていてもでも一緒だ。

しかしアイドルはそのキャラクターや容姿が最大の武器のひとつである。

その本質があまりにも変わってしまうと応援してきた者としては少し淋しさを感じざるを得ないのではないだろうか。

 

売れるということはより多くの人に認知され、その為にイメージや好感度を守ることも必要になってくる。それは仕方がないことなのだろう。

これが「売れること」にはつきものなのだろう。

 

しかし頭では分かっていてもなんだか淋しいというのがジャニオタの正直なところではないだろうか。

もしこれが自担であったとしたら、と想像すると売れてくれたことに喜びつつもどこか淋しい気持ちに襲われる気がしている。


持ち味や本質を存分に出せない状態になってからの「人気」を保つのも、また大変なのではないかと想像する。
本来の質を一定のクオリティに保ちつつ「売れ続ける」ことはとても難しいことなのかもしれない。

 


一部の熱狂的なファンがいた近所のラーメン屋さん。
口コミが広がりいつしかグルメサイトで高得点をたたき出す人気店となり、ファンが増える。

行列が増える。提供しなくてはいけないラーメンの数が増える。

量産するうちに味が少し歪む。当時の味を好んだ客が離れる。

本質を一定のクオリティに保ちながらも売れ続けることはとても難しいことなのかもしれない。


長年のファンがいる老舗はすごい。お食事もジャニーズも。


お読みいただきありがとうございました。

古参と新規について、ふと考える

これをお読みの貴女様は、古参でしょうか。新規でしょうか。
その線引きは一体どこにあるのだろうか。

 

誰もが考えたことのあるテーマではなかろうか。

 

前記事にも書かせてもらったが、わたしはいくつかのジャニーズグループを掛け持ちしている。ゆるく応援しているものから根強く長年応援しているものまである。

 

その中でも、XXくんを担当して十数年、ZZくんを担当して一年弱になる。(2017年夏時点)

 

XX担としては古参、ZZ担としては新規…本当にそうなのだろうか。
人によって感じ方は実にそれぞれだと思われる。

 

そもそも古参と新規とは一体なんだろうか。
気にしていますか。
わたしは正直気にしていない。…いや、気にしていない、はウソだ。
多少気にしている。しかし「歴」とはまた少し別の意味で気にしているのである。

 

以前、XXくん所属グループのコンサートチケットの交換を試みた時のことだ。
インターネット上で見つけた交換相手(候補)とのやり取りを開始した。

 

わたしは希望日と席の条件が合い、信頼できそうな人であれば前向きに交換をしたいと希望していた。

先方のご要望は「感覚が合う人との交換」である。
それも分からなくはないので会話を続けてみることにした。

 

お互いにXXくんを担当し、チケットがある限り多ステに抵抗はなく、遠征もする、という共通点で交渉は友好的に進んだ。
いいぞ、これはいい感じに交換が成立するぞ、とわたしが小さなガッツポーズを決め始めたその時、

 

「好きな曲を2、3個教えてください。」と問いかけられた。

 

お気に入りの曲などありすぎて正直選べない。
あまりマニアックな曲を選んで引かれても困る。

かといって新曲過ぎるのも適当に答えたと勘違いされそうだ。

 

どうしてもチケット交換を成立させたいとの思いから、数年前のヒット曲と誰もが好む名曲を選択して答えた。

 

 

結果は交換不成立である。

 


「○○ソングや△△歌のような古くてマニアックな曲の分かる担歴10年overの方やそれを好む傾向にある方と交換したい(し、そのほうが今後のお付き合いがし易い)」というのが交換相手の答えだった。
(今思うと、純粋に好きな曲を答えていれば良かった。考えすぎたわたしにも反省点がある。)

 

交換相手の担当歴は2年半であった。

みなまで言わぬが、何が言いたいかお分かりであろう。

わたしの目には、新規であることを恥ずかしがっているように映った。

 

古参と新規の境界線は年数だろうか?より多く古い曲を知っていることだろうか?
それとも現場経験の多さだろうか?

 

先程、古参新規問題を『少し別の意味で気にしている』と述べたのは「歴」自体ではなく「周りが古参新規を気にしすぎているということ」にある。

 

古参の感覚を持っていたいのだろうか。

新規は恥ずかしいのだろうか


わたしはXXくんに関しては古参かもしれないが、ZZくんに関しては自他共に認める新規だ。

しかしながら恥ずかしいとはまったく思っていない。

 

XXくんの10年以上前の姿も出来事も知識として持ち合わせているが、ZZくんの情報はここ最近のものばかり。

頑張って遡っても蓄えられる情報は数年前くらいまでだ。

しかも情報の鮮度は大概落ちている。

 

では、ZZくんのことを10年以上も前まで遡ってすべて知りたいかと問われたら、正直そうでもない
ZZくんの今が好きだからだ。あまり過去には興味はない。
もちろん、懐かしいエピソードに出くわせたら嬉しいし、昔の曲も新しい気持ちで聴く。


しかし「今」になって過去を知った自分を恥ずかしいとは思わないし、新規であることになんの違和感もない。

むしろ今このタイミングでZZくんを見つけられてラッキーだと思っている。

5年前にZZくんを仮に見つけていたとしても好きになったかは分からない。

自分のこのタイミングで見つけたことに意味があるのだ。

だから新規でも何の問題もないのである。

 


何年か前に、嵐さんのアラフェスというコンサートの開催が決まり、ファン投票によって選曲されるセトリが大波乱を巻き起こしたことを記憶している。
嵐さんが国民的に大きくなってからの「新規」が、最新曲や(コンサートでは古参には飽きられている)定番曲に多くの票を集中させ、古参が好む昔の曲が入選せず、古参と新規の対立が起きていた(ようにわたしの目には映ったと記憶している。)。

 

今年10周年を迎えたHey!Say!JUMPさんも、10周年の記念アルバムをファンからの曲投票によって選抜し、同じようなことが起きていたのは記憶にも新しい。
未収録曲や昔の曲もランクインしたようだが、新しい曲やおなじみの定番曲が収録された模様だ。

 

定番曲。
新規にとっては「THE」な感じがしてありがたい曲。
古参にとっては「またですか」と言わんばかりの曲。
…なのかもしれない。
まぎれもなく「そのグループを象徴する」曲ともいえると思うのだが。

 

古参と新規の違いは何か?

古参は古い曲に投票し、新規は最新の定番曲を好むのだろうか?

 

いずれのグループも、古参が築いた基盤の上で、一定の数の新規に支えられながらグループが成長しているのではないだろうか。

 

定番のカップ焼きそばも話題のソースも、最初は万人ウケしたわけではなく一部のコアなファンがいただけではなかろうか。
いつの間にか人々がその良さに気付きその評判が広まって今では多くの人から愛されるヒット商品となっていることが多いと思う。


昔から知っていた人は長きに渡ってその味を堪能することが出来てラッキーだし、最近知った人もこれからよーく味わっていけばいい。

 

もし、自らを古参と新規の二束のわらじと名乗っていいのであれば、
二束のわらじのわたしは、両方の気持ちが分かるし幸せ者である。

 

しかし古と新の線引きは一体どこにあるのか、古参と新規とは一体なんなのか
これだけ書いても、結局分からない
答えは永遠の謎であるし、明確な答え自体、不要のようにも思える。

 

お読みくださりありがとうございました。

同担拒否について、ふと考える

友人からの「同担拒否ってありますか?」の突然の質問を受け、最近同担拒否について考えている。

 

わたしは掛け持ちのジャニオタであるため、担当と言える推しが1人以上いるが、
XXくん、ZZくんそれぞれ、種類の違う同担拒否のような感覚に見舞われることが、そういえばある。

 

そもそも同担拒否という種族の線引きは、どこにあるのだろうか。

「同担拒否のような感覚に見舞われることがある」と上記で述べてはみたものの、わたしは自身を同担拒否の種族だと認識してはいない。

むしろ好きの対象が同じ者同士、分かち合いたいと好意的に思っているし、大好きなXXくんもZZくんもより多くの人に愛されることを心から願っている。(本心である。)


XXくん担当のハナコさん(仮名)。同担ということで仲良くさせてもらっているが、いつからか、ハナコさんの発言に違和感を覚えるようになった。


わたしはXXくんには茶髪がもっとも似合うと思っているが、ハナコさんは黒髪派だ。
髪型の話になると、ハナコさんはいつだって

「でもXXくんてやっぱり黒髪が一番素敵じゃない?!」と半ば賛同を求めるかのような意見を述べてくる。

 

ハ「XXくんは絶対に短パンが似合う男だから~」

 (※わたしは長パンが似合うと思っている。)

ハ「XXくんって誰とでも仲良く出来て太陽みたいじゃない?!」

 (※わたしは陰の部分が意外と多いと思っている。)

 

このような具合に好きな対象が同じとはいえ、その考え方やXXくんに抱く感情や願望は全く異なる(真逆な)のである。

好みは人ぞれぞれだし、黒髪が素敵であることは(全面賛同はしないが)理解はする。(XXくん自体が素敵だから、である。)だが、納得はいかない。

 

では、このモヤモヤは一体どうして起こるのか考えてみた。


ジャニオタには、「それぞれが描く○○くん像があるから」ではないかと思う。

 

ジャニーズという雲の上のような存在を追いかけている中で、テレビ・ラジオ・雑誌・現場での言動から、人となり、休日の過ごし方、その人の人間性等の情報を少量だが知ることが出来る。

 

しかし大半の知りえない部分は妄想と想像で構成される場合が多く、これらの「組み立て」によって自分の中の○○くん像が出来上がっていくのだと感じている。

 

わたしは特にXXくんに対して自分の「組み立て」が正しい(≒もっとも自分の理想とするXXくんだ)という自負のような勝手な思い込みを持っているのかもしれない。

これは十数年来XXくんの担当をしてきたことに起因するのだと思う。長年追えば追うほど自分の中のXXくんが確立されてきているのである。


ジャニオタの数だけみんなそれぞれに「組み立て」を持っていると思うし、持っていていいのだと思う。

 

一方でわたしはZZくんに対しては、茶髪派を押し付けられても黒髪派を推薦されても、心穏やかにいずれも受け入れることが出来る。


両方似合うから、というのももちろんあるが、ZZくんに対する「組み立て」がさほど明確に確立されていないからであると感じる。ZZくんはまだ応援し始めて期間が浅いということが大きな理由の一つであろう。

 

逆にZZくんの担当に抱く違和感は、「ファンの姿勢」いう点である。

 

その特徴は「必要以上に擁護する姿勢」である。

 

わたしはZZくんのことが大好きだが、モンペではない。

もちろん自担はいつだって愛おしいが、何でもかんでもカワイイ!カワイイ!というわけではない。

「おいおい」と思うことだって、「そこは頑張れよ」と叱咤激励することだってある。

可愛い子には長旅をさせろ、くらいに思っているところがある。

 

何かの雑誌やラジオでZZくんがメンバーからいじられているとしよう。
「ZZはビビリだからな!」とメンバーからの鋭利なボールが飛んできたとしよう。

同担のヲタ友はこぞって

「ひどい!ZZくんはビビリなんかじゃない!感受性が豊かなだけなのに!」

「ZZくんをビビリ呼ばわりするなんてメンバーは見る目がない!」

とモンペを発動し、ことを荒立てる。

 

同担ながらこの一連の流れはとっても苦手だ

 

ZZくんだってもういい青年である。

自分の身くらい自分で守れるだろうし、その出演媒体での自分の役割(仕事)を全うしようとしているであろう。なによりも、本当にビビリなのかもしれないし。

 

擁護どころか、そのイジリをどのように跳ね返すのか、もしくは吸収して笑いに変えられるのか、むしろ彼のポテンシャルに興味がある。

 


「同担拒否」というのは、コンサートを前提にした(ファンサを取り合うのが嫌等の理由からなる)言葉であると聞く。

日常で同担に感じる「意見の食い違いや姿勢の違いを嫌うこと」も同担拒否に入るのだろうか。

 

よくよく考えると、わたしは同担と一緒にコンサートに入ったことが無い。

(共に行動する決まった友人がいることが大きい、という理由もある。)

 

同担に対するある種の違和感は存在するものの、XXくん、ZZくんいずれの場合も

「彼を独占したい」という種類の同担拒否は一切無い。
ファンサを取り合う不安もなく、並んで入ればより良いサービスがもらえる確率が上がってラッキーくらいに思っている。

 

同担拒否の国境はどこに引かれているのだろうか。

定義は一体なんなのか。

 

少しでも同担を「何かしらの理由で心地よく思わない・理解できない」場合は同担拒否なのだろうか。

だとしたら ジャニヲタはみな同担拒否の火種を心に持ち合わせていることになるのではないだろうか。


わたしはミックスフライ定食の中でエビフライが一番好きなエビフライ担だ。

エビフライには絶対ソース派だ。
同担(エビフライ担)で、タルタル派の人がいても理解はするが、決してわたしのエビにはタルタルをかけないでほしい。

 

タルタル派とソース派に分かれる同担。タルタルを強く勧められて「絶対ソースの方が美味しいだろ~」と思ってしまったソース派のエビフライ担のわたしにとって、タルタル派のエビフライ担は、同担拒否の対象となるのだろうか。

 

お読みくださりありがとうございました。

はじめる

口内炎ができた。3つもだ。

 

空腹なのに食べることも一苦労だ。日ごろ遭遇することの無い類の痛みに苦しみ、なんなら少しイライラしている。

この苦痛から意識を逸らそうと、書いていなかったブログを始めることを思い立った。

 

わたしには好きなことがいくつかあるが、中でも特に2つ。
1つは、美味しいものを好きなだけ食べること。
食べることを最大欲求とするわたしがその能力を奪われてしまった今、意識はもうひとつの「特に」に集中する。

 

ジャニーズ。 わたしが、食べることの次に長続きしている趣味である。


所属グループのすべてに精通しているわけではないが、いくつか応援している対象はある。
その中でもわたしの興味の矢印が今現在もっとも向けられている彼らについて、少しずつ個人的見解や意見、想いを書いてみようと思う。


お読みいただきありがとうございました。